home : essay : そして嵐

そして嵐

 

 San Jose(AppleWWDC)出発の日。

 いろいろあったよ。マジで。
今回は時間軸でお楽しみ下さい

12時50分頃:同行者HとD、成田に到着。カウンターに行くと・・・

「デルタ78便は到着便が欠航したためにキャンセルになりました」

二人唖然。とりあえずアップルに電話。アップル担当者も愕然。おいらにも電話。おいらも愕然

13時おいらもカウンターに。とりあえずアップルからの指示待ち。待っている間に、同じ境遇の人を発見。その人も会社から4人でいくが、自分だけこんな目にあっているとのこと。

13時20分: 同行者W到着。アップルから指示あり。近ツリが対応するとのことで、一同近ツリカウンターへ。 近ツリはどうも前日の夕方になって突然アップルから頼まれたらしい・・・。

13時30分: 18時発のJAL002便サンフランシスコ行きに乗れるようにがんばってみるとのこと。とりあえず解散。
  ここでさっきの似たような境遇の人がアドビのMさんだとわかりお互い驚く。メールでしかやりとりしたことがなかったから・・・世の中狭いね。とりあえず名刺交換。WWDCのついでにAdobe本社に出張、らしい・・・。

15時: 再び集合。ここで同様の境遇になっている人は計8人だとわかる。 チケットが取れたとのことで一同安心。

16時30分: 集合・チェックイン開始。ここで帰りのチケットはe-ticketだというとまた揉め始める。 デルタ78便をキャンセルしてJAL便を買った形なので、帰りのデルタ79便も自動的にキャンセルになるから帰りのチケットがない状態アメリカ入国できないかもということで。
  アップル経由で近ツリの人を再度呼びだして交渉開始。近ツリ側が帰りのサンフランシスコ発の航空券を購入して、後でWWDCトラベル側と辻褄を合わせることになる。 発券が遅れて、搭乗口渡しということで一同出国手続きへ。この時点で17時30分
 その混乱の中、オイラはJALマイレージを申し込む。

17時50分: 搭乗口に着いたがまだ搭乗は始まっておらず。どうも僕らの帰りのチケットの件で遅れている模様・・・。結局日本では間に合わないので、アメリカではe-ticketがあると言い張って入国しろ、その後チケットを渡すという段取りに。

18時20分:離陸 そしてアメリカ・・・

11時20分:到着。入国手続きはすんなり。その後JALのカウンターで発券。でも現時点でJAL001便はいっぱいでWaiting状態。予断を許さず。

11時30過ぎ: ホテルへ。おいらとDだけSanta Claraでおろされる。(後はみんなSan Jose市内) 部屋はやっぱり去年のフェアモントと比べると数段落ちる・・・。でも、高速Internet(たぶん10Base)のサービスが一日約10ドルで使えるとのことで、ニフティでもなくAOLでもなくこれを使うことに(STSNという会社)。接続テストは良好。でも後日、FASTでもないただのモデムだったことが発覚

14時: 15時に会場前でという約束だったため出発。ホテルからライトレール(路面電車)の駅まで5分、とフロントで言われたので歩き始めたら20分かかる・・・。そこから会場までは途中1回乗り換えありで約40分かかることがわかり二人呆然。

計1時間・・・

結局30分遅刻。HとWのホテルは同じ駅で近い。会場まで15分ぐらい。Hのホテルは駅の真ん前。いいなぁ・・・

15時30分: 登録手続き・・・おいらだけパスポートを忘れ、身分確認ができないから登録できないと言われ泣く・・・しかし、試しに社員証を出してみたらOKだった・・・社内でいっさい使わないで社外で役に立つカードも珍しいなと思いつつ、ほっとなで下ろす。
  会場は写真・ビデオ撮影の禁止。基調講演以外はNDAの扱いのため。デジタルビデオを持ってきていたDはますますなで肩に。おいらは冷静に「合間に散歩撮影できないじゃん」と残念がる。 その後、時間割の打ち合わせ。

16時30分: ぶらぶらしてみる。フェアモントの前に行って「去年はよかったなぁ・・・」と感慨に耽る者約1名。スーパーでクリスタルガイザーを買い、去年行っておいしかったイタリアン(W的には「ヒラメ屋」)へ行く。で、ヒラメを頼まず。

19時: ホテルへ帰る。さっさと降りていく二人を後目に、我々二人は広大な平原をみながらホテルへ戻る。

20時: アップルからアジェンタが届いた・・・会場でもらったのと一緒だった。 でも、会場とホテルとの間をシャトルバスが30分間隔で出発するとのことでラッキー!。でも夜は7時まで。 ネットに繋ごうとするも、なぜかつながらず。AOLも試したが、Internetにつながらず。

これが長い長い5月13日だったわけ。この時点では、書いたとおり、帰りの飛行機に乗れるかどうか分からない状態だったんだよね・・・。

そしてつづく・・・

 

(2000年5月13日)

| Back | Next |